誰かの心の“闇”に寄り添うように、静かに、でも確かに流れてくる一曲がある。
それが、ドラマ『恋は闇』の主題歌「BEAT」。
この楽曲が、なぜ物語とこんなにも呼吸を合わせることができたのか――
今日は、その理由を“音と言葉”の側から紐解いてみたいと思います。
- ドラマ『恋は闇』の主題歌「BEAT」を歌うアーティストWurtSの魅力
- 「BEAT」の歌詞に込められた感情と物語とのリンク
- 主題歌とドラマのシンクロが生む没入感の理由
- 音楽担当・末廣健一郎による劇伴の演出力
- 視聴者の心に響く“音楽の力”とドラマの相乗効果
『恋は闇』主題歌「BEAT」は誰が歌ってる?WurtS(ワーツ)の魅力に迫る
物語の“はじまりの音”として、視聴者の胸に残る主題歌。
ドラマ『恋は闇』において、その役割を担っているのが WurtS(ワーツ) の「BEAT」です。
WurtSは、2000年代生まれのソロアーティスト。作詞・作曲・編曲・映像ディレクションまでを一人で手がける“DIY型”の音楽クリエイターとして注目されています。
SpotifyやYouTubeなどデジタルネイティブ世代を中心に熱狂的な支持を集め、独特の浮遊感とエッジの効いたサウンドが特徴です。
「BEAT」は、まさにそのWurtSの“らしさ”と、“ドラマの世界観”がぴたりと噛み合った一曲。
静かなイントロから始まり、リズムが少しずつ心拍のように高まっていく構成は、まるで主人公たちの内面に入り込んでいくよう。
特筆すべきは、その“語りすぎない”距離感。
ドラマの主題歌は、ともすれば物語の感情を過剰に煽ってしまうこともあります。
でもWurtSの「BEAT」は違う。
あくまで登場人物の感情に寄り添い、時にそっと背中を押し、時に立ち止まることを許してくれる。
「ただのBGMじゃなく、“もう一人の語り手”として音がそこにいた」
そんな風に感じた視聴者も、きっと少なくなかったはずです。
また、WurtSはこの楽曲についてインタビューでこう語っています。
「人が心の奥で感じる“揺れ”や“曖昧さ”って、はっきり言葉にしなくても、音で伝えられると思ってて。
だからこの曲も、“明確な答え”じゃなくて、“輪郭のない感情”を描きたかったんです」
この言葉は、そのまま『恋は闇』というドラマの核心と通じています。
“正しさ”や“善悪”では語りきれないものを、音楽がそっと照らしてくれる。
それが、WurtSの「BEAT」が持つ最大の力であり、
このドラマを“観終わったあとも心に残る物語”にしている理由のひとつなのだと思います。
主題歌「BEAT」の歌詞に込められた意味とは?
主題歌「BEAT」を初めて聴いたとき、「この歌詞、まるで誰かの“心のつぶやき”みたいだ」と感じました。
派手な言葉はない。
でも、その静けさの中に、誰にも言えなかった気持ちが確かに息づいている。
たとえば、こんなフレーズがあります。
時には傷ついて
時には嘘をついて
それでも君を待ってる
なんてことないように
この歌詞を読んだとき、私は思いました。
これは“誰かのことを、本当に好きだった人”の言葉なんだって。
愛するって、簡単じゃない。
信じるって、もっと難しい。
でも、それでも「待ってる」と言える強さが、この歌詞にはある。
『恋は闇』の登場人物たちは、いつも何かを我慢して、誰かを守るために嘘をついて、自分さえも見失いそうになっている。
「BEAT」は、そんな彼らの“言葉にならなかった部分”を、まるで代わりに語ってくれているようでした。
そして、個人的にいちばん心に残ったのは、サビで繰り返される“躊躇いのリズム”です。
歌詞そのものはシンプルなのに、メロディが少しずつ揺れるように構成されていて、まるで「心が揺れてる最中」のような感覚を覚える。
これが、ただのラブソングじゃない証拠なんです。
好きなのに、怖い。
信じたいのに、疑ってしまう。
そんな“矛盾した感情”を、言葉にせずに音に託す。
WurtSの「BEAT」には、そんな静かな叫びが確かに込められている。
この歌詞が心に残るのは、きっと、私たちが誰かに言えなかった気持ちと、どこかで重なっているから――そう思わずにはいられません。
『恋は闇』の物語と主題歌の“シンクロ率”がすごい
ドラマを観ていると、ある瞬間ふっと「音」が物語に溶け込むように入ってくることがあります。
それが心にすっと沁みて、気づいたら涙が出ている――
『恋は闇』と主題歌「BEAT」の関係は、まさにそんな“感情と音の合流点”に満ちているのです。
物語は、禁断の恋と連続殺人事件という、決して軽くは語れないテーマを扱っています。
でも、「BEAT」が流れる瞬間、その世界はどこか“私たち自身の感情”と地続きになる。
たとえば、主人公が自分の過去と向き合い、
「それでも、愛したかった」と心の奥で思ってしまったとき――
セリフではなく、“リズム”が感情を語る場面があります。
その時流れてくる「BEAT」は、単なる主題歌ではありません。
あれはまるで、「この感情、あなたにもわかるよね」と
そっと視聴者の手に触れるような“共犯者の音”なんです。
そして不思議なのは、同じ曲が、回を重ねるごとに違って聴こえてくること。
第1話では、あくまで物語の“輪郭”として流れていたはずの「BEAT」が、
最終話では、“登場人物の痛みや選択の証明”のように聞こえてくる。
これはもう、音楽とドラマが時間をかけて“信頼関係”を築いていった結果だと思います。
視聴者の感情が少しずつ深くなり、物語の奥に入り込んだとき、
「BEAT」もまたその感情の深さに合わせて響き方を変えてくれる。
主題歌が“主張する”のではなく、“そばにいてくれる”。
その距離感が、あまりにも絶妙で、あたたかくて、切ない。
だから私たちは、あの音を聞くたびに、
「これは、私の物語かもしれない」と、少しだけ心の奥が揺れるのかもしれません。
音楽担当・末廣健一郎が紡ぐ劇伴の力とは?
ドラマの中で、台詞がなくなる瞬間があります。
誰も何も言わず、ただ視線を交わすだけの時間――
そんな時、本当に“物語を語っている”のは、音かもしれません。
『恋は闇』の劇伴を手がけたのは、作曲家・末廣健一郎さん。
彼の音楽は、主張しすぎない。それでいて、確かにそこに“感情の濃度”を落としていく。
たとえば、静かなシーンで、わずかに響くピアノの旋律。
それはまるで、「いまこの人物が何を抱えているのか」を、言葉ではなく音で伝えてくれているようです。
印象的だったのは、第3話で描かれた“再会”のシーン。
言葉を交わす前に流れたのは、不安と安堵と少しの希望が混じったようなストリングスの重なりでした。
私はあの瞬間、
「この再会が、嬉しいだけじゃないことを、音が全部知っていたんだ」
そう思わずにはいられませんでした。
末廣さんの劇伴のすごさは、“感情の余白”に入り込む力にあると思います。
多くの劇伴は、映像を“説明”するように使われます。
でも彼の音楽は、「語りすぎずに、観る人の想像力を信じてくれる」。
だからこそ、静かなシーンでも視聴者の心が動くし、
セリフがなくても、「あ、この人、いま泣いてるな」と感じられる。
音楽が鳴っているのに、そこに“沈黙”がある。
その不思議なバランスを、末廣健一郎という作曲家は、ずっと丁寧に紡ぎ続けているのです。
『恋は闇』という物語に、深い陰影と体温を与えていたのは、
間違いなく、この“音の力”だったと私は思います。
- 『恋は闇』の主題歌「BEAT」は、WurtSが手がけた感情とリンクする楽曲
- 歌詞には“信じたいけど信じきれない”という切実な心情が込められている
- ドラマのクライマックスと「BEAT」が流れるタイミングが深く共鳴している
- 第3話の再会シーンでは音楽が感情を代弁し、物語の転機を彩っている
- 劇伴を担当する末廣健一郎の繊細な音楽が、“沈黙”の感情までも浮かび上がらせている
- 主題歌と劇伴が一体となり、視聴後も“記憶に残るドラマ”として心に響く