「この世界観、どこかで見たことある気がする」
そんな既視感の正体が、“原作付きドラマ”ということは少なくない。
でも、『波うららかに、めおと日和』の空気は、ちょっと違った。
まるでずっと昔から知っていたような、でも初めて出会ったような──
この記事では、このドラマが原作付きなのか、それとも脚本家によるオリジナルなのかを、丁寧にたどっていきます。
📝 この記事を読むとわかること
- 『波うららかに、めおと日和』が原作付きドラマである理由とその背景がわかる
- 原作漫画とドラマ脚本の違いや、それぞれが持つ“らしさ”の違いに気づける
- なぜこの作品が「原作ありなのに新鮮に感じる」のか、その秘密をやさしく解き明かしてくれる
『波うららかに、めおと日和』は原作付き?オリジナル脚本?
「この物語、どこかで読んだことがある気がする」──
そんな“やさしい既視感”を抱いた人も多いかもしれません。
実はその感覚、まったくの偶然じゃないんです。
『波うららかに、めおと日和』は、西香はちさんによる同名の漫画を原作にしています。
2022年10月から講談社のウェブコミックサイト「コミックDAYS」で連載が始まり、
現在(2025年5月時点)で第8巻まで刊行中。
静かながら深い愛情の描写と、昭和初期の空気感を丁寧に描く作風が評判を呼び、じわじわと読者の支持を集めてきました。
そんな原作の世界観を丁寧に映像化したのが、今回のドラマ版。
一見すると「地味な夫婦もの?」と感じるかもしれませんが、
蓋を開けてみれば、“日常の中に宿る静かなドラマ”がそっと息づいています。
つまり──
このドラマは完全なオリジナル脚本ではなく、原作付きの映像作品。
けれど“原作がある”というだけで、このドラマの魅力は語りきれない。
そう思わせてくれる、“余白”が生きた物語なんです。
原作漫画『波うららかに、めおと日和』とは
原作は、西香はちさんによる同名漫画。
2022年10月から講談社のウェブコミックサイト「コミックDAYS」で連載が始まり、
現在では8巻まで刊行されているロングセラーとなっています。
物語は、昭和11年の春。
帝国海軍中尉・瀧昌と、20歳のなつ美の縁談からはじまる、新婚生活の記録。
いわゆる政略結婚的な形で結ばれたふたりが、
ゆっくりと、でも確かに“夫婦になっていく過程”を描いた作品です。
この作品の魅力は、なんといっても静かさの中にある“感情の濃さ”。
ドラマチックな展開や大げさな台詞ではなく、
一杯の茶を出す仕草や、うつむいた視線の先に、心の機微が宿っている。
なつ美は、実家を出て見知らぬ町で夫と暮らすことに。
「お嫁に行く」ということの意味が、今よりずっと重かった時代。
でも、彼女はただ従うだけの女性じゃない。
不器用だけど芯がある。自分の気持ちに嘘をつかない女性として描かれているのが印象的です。
一方の瀧昌は、海軍という硬派な世界に身を置く男性。
寡黙で感情表現は控えめですが、
読者は少しずつ、彼のまなざしの中にある優しさと敬意に気づいていく。
このふたりが交わす会話は、まるで短歌のよう。
言葉は少ないのに、余韻が長く心に残る。
読後には、あの静かな台詞を何度も思い出してしまう…そんな力を持っています。
実際、読者からも
「なつ美の不器用さに泣いた」
「昭和の風が吹いてくるような感覚」
「何も起きていないのに、なぜか胸が熱くなる」
という感想が多く寄せられています。
この物語には“戦争”という時代背景があるものの、
それは決してメインテーマではありません。
むしろ、日常の尊さ、ふたりの距離感の変化にこそ重きが置かれている。
ページをめくるたびに、
「自分も誰かをこんなふうに想えたら」と思わされる。
この原作漫画は、そんな“心の鏡”のような存在なのです。
ドラマ脚本は誰?オリジナル展開もある?
『波うららかに、めおと日和』の脚本を手がけるのは、泉澤陽子さん。
彼女の脚本には、人の心を丁寧にほどいていく手つきがある。
ドラマ『おっさんずラブ -in the sky-』『にじいろカルテ』など、
“泣かせよう”としなくても、気づいたら胸がじんわりしてる…そんな作品を生んできた脚本家です。
今回の『波うららかに、めおと日和』も、
原作の世界観を大切にしながら、ドラマとしての呼吸がきちんと吹き込まれています。
「これは原作にはなかったな」と気づく場面もちらほら。
でも、それが決して“蛇足”じゃない。むしろ、映像ならではの温度を運んでくる。
たとえば──
言葉にしない沈黙が続いたあと、ふっと目が合うふたり。
ほんの数秒の“間(ま)”に、不安も、照れも、やさしさも全部詰まってる。
そんな演出ができるのは、
キャラクターの感情を“行間”で書ける脚本家ならではだと思うのです。
つまりこのドラマは、
原作の再現ではなく、原作の“解釈”としての映像化。
脚本家のまなざしが加わったからこそ、
あの夫婦の時間は、よりやさしく、あたたかく流れているのかもしれません。
なぜ「原作付き」でも新鮮に感じるのか
“原作付き”という言葉には、ときに「すでに知ってる物語」という先入観がついてくる。
でも『波うららかに、めおと日和』を観ていると、その常識がふわりと覆される瞬間があります。
たしかに物語の骨格は原作通り。
けれど、画面に映る“気配”や“余韻”まで知っている人なんて、誰もいない。
それが、このドラマを“新鮮”にしている理由なのかもしれません。
たとえば──
縁側を通り抜ける風の音、障子越しのやわらかい光、味噌汁の湯気に浮かぶ二人の影。
そんな“行間の演出”が重なることで、
私たちは「知ってる物語を、もう一度“感じる”」という体験をしているんです。
そして俳優陣の表現力も、それを支えている大きな要素。
芳根京子さんのなつ美は、言葉にしない心の動きをまなざしで語れる女優。
だからこそ、「あ、この瞬間に恋が始まったんだ」と、セリフがなくてもちゃんと伝わってくる。
つまり、“原作がある”ことは出発点にすぎなくて、
そこから“映像が生きる”という工程を経て、
私たちの前に新しい物語として立ち上がってきている──。
その奇跡を、毎週木曜の夜に目撃しているのだと思います。
まとめ:『波うららかに、めおと日和』は“原作の優しさ”と“脚本の手触り”が交差する物語
『波うららかに、めおと日和』は、
原作のやわらかな世界観と、脚本家の繊細なまなざしが出会ったことで生まれた、
“どちらか一方では成立しなかった物語”だと思うんです。
西香はちさんが描く静かな愛情と、
泉澤陽子さんが言葉の奥に仕込んだ温度。
そこに、俳優の表情や映像のトーンが重なって、
「誰かと一緒に生きることの意味」が、じんわりと浮かび上がってくる。
このドラマには、大きな事件は起きないかもしれない。
でも、心のなかの静かな揺れに気づいたとき、
それが自分の気持ちにリンクして、涙がこぼれそうになる。
“原作付き”という言葉に惑わされず、
ひとつの“ひとの営み”としてのドラマとして観てほしい。
そして、もし今あなたが誰かとの関係に少し戸惑っていたら──
この物語が、そっと背中を押してくれるかもしれません。
静かな夜に、ひと息ついて、ぜひ観てみてください。
あなたの心が呼吸できる場所が、きっとそこにあります。
📝 運営者の考察
「原作付き」って聞くと、もう筋書きが決まってるように思いがちだけど、『波うららかに、めおと日和』は違った。脚本の手触りがあまりに繊細で、“知ってるはずの物語”なのに何度も心が動く。たぶんそれって、原作のやさしさを映像でちゃんと“生き物”にしてるからなんだと思う。静かな夜に、じんわり沁みてくる…そんな時間をくれるドラマです。